田中正造
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一八九一(せんはっぴゃくきゅうじゅういち)年(ねん)(明治(めいじ)二十四(にじゅうよ)年(ねん))の十二月(じゅうにがつ)に二十(にじゅう)五日(いつか)、日本(にっぽん)に国会(こっかい)が開設(かいせつ)されて第(だい)二(に)回(かい)目(め)の議会(ぎかい)でのことである。年齢(ねんれい)は五十(ごじゅう)歳(さい)ぐらい、がっしりとした体(からだ)つきの男(おとこ)が演壇(えんだん)に立(た)ち、政府(せいふ)への質問(しつもん)演説(えんぜつ)に熱弁(ねつべん)とふるっていた。満場(まんじょう)、きちんと洋服(ようふく)を着(き)た議員(ぎいん)ばかりなのに、其(そ)の男(おとこ)の身(み)につけているのは、粗末(そまつ)な木綿(もめん)の着物(きもの)と袴(はかま)。しかも、髪(かみ)は乱(みだ)れ放題(ほうだい)で、気(き)にかける様子(ようす)は全(まった)くない。
彼(かれ)は、かたわらの袋(ふくろ)から、死(し)んだ魚(さかな)や立(た)ち枯(が)れ稲(いね)など、不気味(ぶきみ)なものを取(と)り出(だ)しては、『足尾(あしお)銅山(どうざ[......]