《日语综合教程》第五册 第2课 田中正造

田中正造
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一八九一(せんはっぴゃくきゅうじゅういち)(ねん)明治(めいじ)二十四(にじゅうよ)(ねん))の十二月(じゅうにがつ)二十(にじゅう)五日(いつか)日本(にっぽん)国会(こっかい)開設(かいせつ)されて(だい)()(かい)()議会(ぎかい)でのことである。年齢(ねんれい)五十(ごじゅう)(さい)ぐらい、がっしりとした(からだ)つきの(おとこ)演壇(えんだん)()ち、政府(せいふ)への質問(しつもん)演説(えんぜつ)熱弁(ねつべん)とふるっていた。満場(まんじょう)、きちんと洋服(ようふく)()議員(ぎいん)ばかりなのに、()(おとこ)()につけているのは、粗末(そまつ)木綿(もめん)着物(きもの)(はかま)。しかも、(かみ)(みだ)放題(ほうだい)で、()にかける様子(ようす)(まった)くない。

(かれ)は、かたわらの(ふくろ)から、()んだ(さかな)()()(いね)など、不気味(ぶきみ)なものを()()しては、『足尾(あしお)銅山(どうざん)(なが)鉱毒(こうどく)のため、渡良瀬川(わたらせがわ)流域(りゅういき)では、これ、このとおり(さかな)()に、作物(さくもつ)()れてしまう。政府(せいふ)は、(ただ)ちに銅山(どうざん)(めい)じて鉱石(こうせき)()ることをやめさせ、銅山(どうざん)経営(けいえい)(しゃ)は、農民(のうみん)たちの被害(ひがい)(つぐな)うべきであります。』と(さけ)ぶのだった。

この(おとこ)()田中(たなか)正造(しょうぞう)正義(せいぎ)人道(じんどう)のために一身(いっしん)(ささ)げつくして、(のち)に、『明治(めいじ)義人(ぎじん)』と()ばれるようになった人物(じんぶつ)である。

関東(かんとう)地方(ちほう)地図(ちず)(ひら)くと、栃木(とちぎ)(けん)西(にし)北部(ほくぶ)有名(ゆうめい)中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)(ちか)くに、足尾(あしお)という銅山(どうざん)()るのが()かる。江戸(えど)時代(じだい)にも鉱石(こうせき)()()されでいたが、一八七七(せんはっぴゃくななじゅうなな)(ねん)明治(めいじ)(じゅう)(ねん))にある実業(じつぎょう)(しゃ)がこの銅山(どうざん)()()ってからは、鉱夫(こうふ)(かず)三千(さんせん)(にん)年間(ねんかん)四千百(よんせんひゃく)トン(あま)りもの(どう)産出(さんしゅつ)するようになり、それとともに、鉱毒(こうどく)(がい)があらわになって()たのである。

(あめ)()ると、()てた鉱石(こうせき)(かす)から(どく)()()て、(ちか)くを(なが)れる渡良瀬川(わたらせがわ)青白(あおじろ)(にご)り、何万(なんまん)(ひき)もの(さかな)(しろ)(はら)()せて()()がる、その(ちか)くの(はたけ)()えた作物(さくもつ)は、()から(くさ)って()れてしまう。そして、一八八七(せんはっぴゃくはちじゅうしち)(ねん)明治(めいじ)二十(にじゅう)(ねん))ごろからは、渡良瀬川(わたらせがわ)沿岸(えんがん)一帯(いったい)(むら)()田畑(たはた)不作(ふさく)となり、農民(のうみん)たちは貧苦(ひんく)(そこ)(しず)むようになったのだった。

一八四一(せんはっぴゃくよんじゅういち)(ねん)天保(てんぽう)十二(じゅうに)(ねん)十一月(じゅういちがつ)三日(みっか)(いま)栃木(とちぎ)(けん)佐野(さの)()()まれた田中(たなか)正造(しょうぞう)は、(もと)()(けん)三郎(さぶろう)といったが、二十八(にじゅうはっ)(さい)(とき)、『人間(にんげん)にとって一番(いちばん)大切(たいせつ)なのは、(ただ)しい()きることだ。人生(じんせい)五十(ごじゅう)(ねん)とすれば、わたしは、もうその(なか)ばを()ぎている。せめてこれから(さき)は、正義(せいぎ)(つらぬ)いていきたいものだ。』と(かんが)えて、(みずか)ら『正造(しょうぞう)』と改名(かいめい)した。

そして、昼間(ひるま)学校(がっこう)(かよ)えない青少年(せいしょうねん)のために夜学(やがく)(かい)(ひら)いたり、『栃木(とちぎ)新聞(しんぶん)』という新聞(しんぶん)()して、民衆(みんしゅう)権利(けんり)出張(しゅっちょう)し、郷土(きょうど)人々(ひとびと)(やく)()記事(きじ)()せたりした。しかし、正造(しょうぞう)(ただ)しいと(しん)じることは、なかなか()(なか)(ひろ)まっていかない。そこで、正造(しょうぞう)は、一八八(せんはっぴゃくはちじゅう)(ねん)明治(めいじ)十三(ねん))には栃木(とちぎ)(けん)会議員に、一八八(せんはっぴゃくはちじゅう)(ねん)明治(めいじ)二十三(にじゅうさん)(ねん))には衆議院(しゅうぎいん)議員(ぎいん)になって、自分(じぶん)(かんが)えを実際(じっさい)政治(せいじ)(うえ)()かそうとしていたのだった。

そういう正造(しょうぞう)だから、(いま)足尾(あしお)銅山(どうざん)鉱毒(こうどく)(くる)しむ農民(のうみん)たちを()て、(だま)っていることはできない。(かれ)は、農民(のうみん)代表(だいひょう)として、『(やま)から(どう)()って、日本(にっぽん)(くに)(ゆた)かにするのは、(たし)かに大切(たいせつ)なことでありましょう。だが、そのために(おお)くの農民(のうみん)犠牲(ぎせい)にすることは、絶対(ぜったい)(ゆる)されませぬ。』と(うった)え、鉱毒(こうどく)問題(もんだい)真剣(しんけん)()()(はじ)めたのである。

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