《日语综合教程》第五册 第10课 屋根の上のサワン

屋根の上のサワン

おそらく()まぐれな狩猟(しゅりょう)()悪戯(いたずら)ずきな鉄砲(てっぽう)うちかが(ねら)()ちにしたものに(ちが)いありません。(わたし)沼池(ぬまいけ)(きし)(いち)()(がん)(くる)しんでいるのを()つけました。(がん)はその(ひだり)(つばさ)(みずか)らの血潮(ちしお)でうるおし、満足(まんぞく)(みぎ)(つばさ)だけ(むな)しく()ばたきさせて、水草(みずくさ)密生(みっせい)した湿地(しっち)悲鳴(ひめい)をあげていたのです。

(わたし)足音(あしおと)(しの)ばせながら(きず)ついた(がん)にちかづいて、それを両手(りょうて)(ひろ)()げました。そこで、この(いち)()(わた)(どり)羽毛(うもう)(からだ)(あたたか)みは(わたし)両手(りょうて)(つた)わり、この(とり)意外(いがい)(おも)たい目方(めかた)は、その(とき)(わたし)(おも)(くっ)した(こころ)(なぐさ)めてくれました。(わたし)はどうしてもこの(とり)丈夫(じょうぶ)にしてやろうと決心(けっしん)して、それを両手(りょうて)(かか)えて、(いえ)()って(かえ)りました。そして部屋(へや)雨戸(あまど)()()って、()(しょく)電灯(でんとう)(した)でこの(とり)(きず)治癒(ちゆ)にとりかかったのでありました。

けれど(がん)という(とり)は、ほの(ぐら)(ところ)でも()()えるらしく、洗面(せんめん)()石炭酸(せきたんさん)やヨードフォルムの(びん)足蹴(あしげ)にして、(わたし)手術(しゅじゅつ)しようとする邪魔(じゃま)をします。そこで(すこ)しバカリ()(あら)ではありましたが(わたし)(かれ)両脚(りょうあし)をいとで(しば)り、(あば)れる(かれ)(みぎ)(つばさ)をその胴体(どうたい)()()け、そうして細長(ほそなが)(かれ)(くび)(わたし)(また)(あいだ)(はさ)んで。

「じっとしていろ!」と(しか)()けました。

ところが(かれ)(わたし)親切(しんせつ)極端(きょくたん)誤解(ごかい)して、(わたし)治療(ちりょう)()わってしまうまで、(わたし)(また)(あいだ)からは、あの(あき)夜更(よふ)けに(そら)(わた)(がん)(こえ)がしきりに()こえたのです。

治療(ちりょう)()わってからも、(わたし)傷口(きずぐち)出血(しゅっけつ)()まるまで(かれ)(しば)ったままにしておきました。さもなければ(かれ)部屋(へや)(なか)(あば)(まわ)って、傷口(きずぐち)(ちり)(はい)(おそ)れがあったからです。

(わたし)治療(ちりょう)結果(けっか)心配(しんぱい)でした。手術(しゅじゅつ)機械(きかい)など(わたし)()っていないので、鉛筆(えんぴつ)(けず)りの小刀(こがたな)()って、(かれ)(つばさ)から(よん)(ぱつ)散弾(さんだん)穿(ほじく)()し、その傷口(きずぐち)石炭酸(せきたんさん)(あら)って、ヨードフォルムをふりかけておいたのです。(ろっ)(ぱつ)散弾(さんだん)(つばさ)(にく)裏側(うらがわ)からはいり()んで、そのうちの()(はつ)(にく)(うら)から(おもて)()()けていました。多分(たぶん)この(とり)(ねら)()ちにした(おとこ)は、(がん)(そら)()()がったところを()て、(じゅう)()(がね)()いたのでしょう。そして弾丸(だんがん)(あた)った(がん)は、(そら)から(なな)めに()ちて()て、負傷(ふしょう)痛手(いたで)(なお)るまで水草(みずくさ)(なか)(やす)んでいるつもりでいたのでしょう。ちょうどそこへ(わたし)(とお)りかかったわけで、その(とき)(わたし)は、言葉(ことば)()(あらわ)せないほど屈託(くったく)した気持(きも)ちで沼池(ぬまいけ)(きし)散歩(さんぽ)していたのです。

(わたし)は、(しば)ったままの(がん)部屋(へや)(なか)()()りにして、(となり)部屋(へや)石炭酸(せきたんさん)のにおいのする()(あら)ったり、(がん)(あた)える(えさ)(つく)ったりしていました。けれど(わたし)自身(じしん)はたいへん(つか)れてしまっているのに()がついて、(わたし)火鉢(ひばち)(もた)れて(ねむ)ることしました。こういう(ねむ)りというものはしばしば意外(いがい)(なが)居眠(いねむ)りとなってしまうものです。そして夜更(よふ)けになってからでなくては、()がさめないというようなことがあります。

(わたし)真夜中(まよなか)ごろになって()がさめました。けたたましい(がん)()(ごえ)によって()()ましたのです。(となり)部屋(へや)(きず)ついた(がん)甲高(かんだか)()(みじか)(さん)()ほど()きました。足音(あしおと)(しの)ばせて(ふすま)隙間(すきま)からのぞいて()ると、(がん)(あし)(つばさ)(しば)られたまま、()(しょく)電灯(でんとう)(ほう)(くび)()()べて、もう一度(いちど)()いてみたいような様子(ようす)をしていました。おそらくこの負傷(ふしょう)した(わた)(どり)は、電灯(でんとう)()かりを夜更(よふ)けの(つき)見違(みちが)えたのでしょう。

(がん)(きず)がすっかり(なお)ると、(わたし)はこの(とり)両方(りょうほう)(つばさ)羽根(はね)だけ(みじか)()って、(にわ)(はな)()いにすることにしました。この(とり)非常(ひじょう)人懐(ひとなつ)こい(とり)らしく、(わたし)外出(がいしゅつ)するときには(もん)のところまで(わたし)(あと)をつけて()たり、夜更(よふ)けになると(いえ)(まわ)りを(ある)(まわ)ったりして、(あたか)()(いぬ)がその()(ぬし)(つか)えるのと(すこ)しも(かわ)りませんでした。(わたし)はこの(とり)にサワンという名前(なまえ)をつけ、野道(のみち)沼池(ぬまいけ)への散歩(さんぽ)()れて()かけたりしたのです。

「サワン!サワン!」

サワンは(ねむ)そうな足取(あしど)りで(わたし)(あと)について()ます。

沼池(ぬまいけ)は、すでに初夏(しょか)(よそお)いをしていました。その(きし)には(わたし)背丈(せたけ)とほとんど(おな)(たか)さに(ほそ)(くき)青草(あおくさ)(しげ)り、水面(みなも)には(おお)くの水草(みずくさ)(ひろ)()純白(じゅんぱく)(はな)生育(せいいく)していました。サワンはどうやらこの沼池(ぬまいけ)(この)んだらしいのです。(かれ)(みず)(すべ)()むと、(みじか)(つばさ)()ばたきしたり()()ったりして、(かれ)がこの水浴(すいよく)()きてしまわなければ、(わたし)がいくら()んでも(みず)から()がってきませんでした。そいうとき、(わたし)(くさむら)()ころんで(つね)私自身(わたしじしん)(かんが)えに(ふけ)るのが(なら)わしでありました。なるほど(わたし)はサワンの水浴(すいよく)見守(みまも)るために沼池(ぬまいけ)()かけたのではなく、(わたし)のくったくした思想(しそう)()いはらうために散歩(さんぽ)()かけたのです。

サワンは水面(みなも)()かぶことを(この)んだのみでなく、(みず)(もぐ)ることをも(この)みました。(とき)としては水中(すいちゅう)(ひそ)んでいることさえもありました。しかし(さいわ)いにして、この沼池(ぬまいけ)(みず)はよく()んでいたので、(わたし)はサワンが水中(すいちゅう)(えさ)(あさ)ったりしている姿(すがた)()ることができました。

(がん)という(とり)は、元来(がんらい)昼間(ひるま)光線(こうせん)太陽熱(たいようねつ)(この)まないものらしいのです。(わたし)がサワンをうっちゃっておく(とき)(かれ)終日(しゅうじつ)廊下(ろうか)(した)にうずくまって昼寝(ひるね)ばかりする習性(しゅうせい)でした。けれど(よる)は((わたし)(にわ)木戸(きど)()じて(かれ)逃亡(とうぼう)しない仕掛(しか)けにしておいたのですが)サワンは垣根(かきね)(やぶ)ろうとしたり木戸(きど)()()えようとしたりして、なかなか元気(げんき)(さか)んでした。

やがて(なつ)()ぎ、(あき)になって、(ある)()のことです。それは木枯(こがら)しの(はげ)しく()()った夜更(よふ)けのことでした。(わたし)寝間着(ねまき)(うえ)にドテラを羽織(はお)って、その()午後(ごご)洗濯(せんたく)して(かわ)ききらなかった足袋(たび)をよく(かわ)かそうとして、火鉢(ひばち)炭火(すみび)足袋(たび)をあぶっていました。こんな場合(ばあい)には(だれ)しも自分(じぶん)自身(じしん)だけの(かんが)えに(ふけ)ったり、懐手(ふところで)をしたりして、明日(あした)(あさ)(はや)()きてやろうなぞと(かんが)えがちなものです。そうして炭火(すみび)であぶっているたびが()げくさくなっているのにきがつかないことさえあります……その(とき)(わたし)は、サワンの甲高(かんだか)()(ごえ)()きました。その()(ごえ)夜更(よふ)けの(しず)けさを物々(ものもの)しい(さわ)がしさに(てん)じさせ、(たし)かに戸外(こがい)では、(なに)かサワンの神経(しんけい)興奮(こうふん)させる事件(じけん)()こったものに(ちが)いありません。

(わたし)(まど)(ひら)いてみました。

「サワン!(おお)きな(こえ)()くな。」

けれどサワンの悲鳴(ひめい)はやみませんでした。(まど)(そと)木立(こだち)はまだ(こずえ)にそれぞれ雨滴(うてき)をためて、(みき)()()れれば幾百(いくひゃく)もの(つゆ)一時(いっとき)()(そそ)いだ()ありましょう。けれど、(すで)によく()(わた)った月夜(つきよ)でありました。

(わたし)(まど)()えて(そと)()てみました。するとサワンは、(わたし)(いえ)屋根(やね)頂上(ちょうじょう)()って、その(なが)(くび)(そら)(たか)()()べ、(かれ)としては出来(でき)(かぎ)(おお)きな(こえ)()いていたのです。(かれ)(くび)()()ばしている方角(ほうがく)(そら)には、(つき)が――夜更(よふ)けになって(のぼ)(つき)(なら)わしとして、(あか)(よご)れたいびつな(つき)(ひか)っていました。そうして(つき)左側(ひだりがわ)から右側(みぎがわ)方向(ほうこう)(むか)って、夜空(よぞら)(たか)(さん)()(がん)()()っているところでした。(わたし)()がつきました。この(さん)()(がん)とサワンは、(そら)(たか)いところと屋根(やね)(うえ)とで、(たが)いに(こえ)(ちから)()めて()()わしていたのであります。サワンが(たと)えば(こえ)(みっ)つに()って()きと、(さん)()(がん)のいずれかが(こえ)(みっ)つに()って()き、彼等(かれら)(なに)かを(はな)()っていたのに(ちが)いありません。(さっ)するところサワンは(さん)()僚友(りょうゆう)(たち)(むか)って。

(わたし)一緒(いっしょ)()れて()ってくれ!」と(さけ)んでいたのでありましょう。

(わたし)はサワンが()()すのを心配(しんぱい)して、(かれ)()(ごえ)言葉(ことば)をさしはさみました。

「サワン!屋根(やね)から()りて()い!」

サワンの態度(たいど)はいつもと(こと)なって、(かれ)(わたし)()()けを無視(むし)して(さん)()(がん)になきすがるばかりです。(わたし)口笛(くちぶえ)()いて()んでみたり両手(りょうて)手招(てまね)きしたりしていましたが、つい(たま)らなくなって、(ぼう)きれで庭木(にわき)(えだ)をたたいて怒鳴(どな)らなければならなくなりました。

「サワン!お(まえ)、そんな(たか)いところへ(のぼ)って、危険(きけん)だよ。(はや)()りて()い。こら、お(まえ)どうしても()りて()ないのか!」

けれどサワンは、(さん)()僚友(りょうゆう)(たち)姿(すがた)()(ごえ)とが(まった)()()ってしまうまでは、屋根(やね)頂上(ちょうじょう)からおりようとはしなかったのです。()しこの(とき)のサワンの有様(ありさま)(なが)める(ひと)があるならば、おそらく(つぎ)のような場面(ばめん)(こころ)(えが)くことが出来(でき)るでしょう。――(とお)(はな)(じま)漂流(ひょうりゅう)した老人(ろうじん)哲学(てつがく)(しゃ)が、(じゅう)(ねん)ぶりに(ようや)(おき)をとおりすがった(ふね)()つけた(とき)有様(ありさま)――を人々(ひとびと)屋根(やね)(うえ)のサワンの姿(すがた)()ることができたでしょう。

サワンが(ふたた)屋根(やね)などに()()げらないようにするためには、(かれ)(あし)(ひも)(むす)んで(ひも)一端(いったん)(はしら)にくくりつけておかなけれはならないはずです。けれど私はそういう手荒(てあら)なことを遠慮(えんりょ)しました。(かれ)(たい)する(わたし)愛着(あいちゃく)裏切(うらぎ)って、(かれ)(とお)いところに()()ろうとはまるで(しん)じられなかったからです。(わたし)(かれ)羽根(はね)を、それ以上(いじょう)(みじか)くすれば(きず)つくほど(かれ)(つばさ)羽根(はね)(みじか)()っていたのです。あまり(かれ)苛酷(かこく)にとりあつかうことを(わたし)(この)みませんでした。

ただ(わたし)翌日(よくじつ)になってから、サワンを(しか)りつけただけでした。

「サワン!お(まえ)()げたりなんかしないだろうな。そんな薄情(はくじょう)なことは()してくれ。」

(わたし)はサワンに、(かれ)三日(みっか)かかっても()べきれないほど多量(たりょう)(えさ)(あた)えました。

サワンは、屋根(やね)(のぼ)って(かなら)甲高(かんだか)(こえ)()習慣(しゅうかん)(おぼ)えました。それは(つき)(あか)るい(よる)にかぎって、そして夜更(よふ)けにかぎられていました。そういうときに、(わたし)(つくえ)(ひじ)をついたまま、または夜更(よふ)けの寝床(ねどこ)(なか)で、サワンの()(ごえ)(こた)えるところの夜空(よぞら)()(がん)(こえ)(みみ)(かたむ)けるのでありました。その(こえ)というのは、よほど注意(ちゅうい)しなければ()くことがないほど、そんなに(かす)かな(がん)(とお)(おと)です。それはききようによっては、夜更(よふ)けそれ自体(じたい)孤独(こどく)のためにうち()かされてもらす溜息(ためいき)かとも(おも)われて、()しそうだとすればサワンは夜更(よふ)けの溜息(ためいき)(はなし)をしていたわけでありましょう。

その()は、サワンがいつもより(さら)甲高(かんだか)()きました。ほとんど号泣(ごうきゅう)(ちか)かったくらいです。けれど(わたし)は、(かれ)屋根(やね)(のぼ)ったときにかぎって(わたし)のいいつけを(まも)らないことを()っていたので、(そと)()てみようとはしませんでした。(つくえ)(まえ)(すわ)ってみたり、(はや)(かれ)()(ごえ)()んでくれればいいと(ねが)ったり、明日(あした)からは(かれ)羽根(はね)()らないことにして出発(しゅっぱつ)自由(じゆう)(あた)えてやらなくてはなるまいなどと(かんが)えたりしていたのです。そうして(わたし)寝床(ねどこ)(はい)ってからも、(たと)えば物凄(ものすご)風雨(ふうう)(おと)()くないとする幼児(ようじ)(ねむ)(とき)のように、蒲団(ふとん)(ひたい)のところまでかぶって(ねむ)ろうと努力(どりょく)しました。それゆえサワンの号泣(ごうきゅう)はもはや()こえなくなりましたが、サワンが屋根(やね)頂上(ちょうじょう)()って(そら)(あお)いで()いている姿(すがた)は、(わたし)(こころ)のなかから()()りはしなかったのです。そこで(わたし)想像(そうぞう)のなかに(あらわ)れたサワンも甲高(かんだか)()(さけ)んで、実際(じっさい)(わたし)(こま)らせてしまったのであります。

(わたし)決心(けっしん)しました。明日(あした)(あさ)になったらサワンの(つばさ)羽根(はね)(はや)(しょう)じる薬品(やくひん)()ってやろう。新鮮(しんせん)羽根(はね)は、(かれ)(この)みのままの(そら)(たか)くへ(かれ)飛翔(ひしょう)させるでしょう。万一(まんいち)にも(わたし)古風(こふう)趣味(しゅみ)があるまらば、(かれ)(あし)にブリキ()れの指輪(ゆびわ)をはめてやってもいい。そのブリキぎれには「サワンよ、月明(げつめい)(そら)を、(たか)(たの)しく()べよ」という文字(もじ)小刀(こがたな)()()けてもいい。

翌日(よくじつ)(わたし)はサワンの姿(すがた)()えないのに()()きました。

「サワン、()()い!」

(わたし)狼狽(ろうばい)しました。廊下(ろうか)(した)にも屋根(やね)(うえ)にも、どこにもいないのです。そしてトタンの(ひさし)(うえ)には、一本(いっぽん)胸毛(むなげ)が、(あき)らかにサワンの胸毛(むなげ)であったのですが、トタンの継目(つぎめ)にささって(あさ)微風(そよかぜ)にそよいでいます。(わたし)(いそ)いで沼池(ぬまいけ)へも()って()ました。

そこにもサワンが()ないらしい気配(けはい)でした。(きし)()えている()(たか)(くさ)は、その(くき)尖端(せんたん)(すで)穂状(すいじょう)花序(かじょ)()をつけて、(わたし)(かた)帽子(ぼうし)に、綿毛(わたげ)種子(しゅし)()りそそいだのであります。

「サワン、サワンはいないか。いるならば、()てきてくれ!どうか(たの)む、()()い!」

水底(みなそこ)には植物(しょくぶつ)()ちた()(しず)んでいて、サワンは(けっ)してここにもいないことが判明(はんめい)しました。おそらく(かれ)は、(かれ)僚友(りょうゆう)たちの(つばさ)(かか)えられて、(かれ)季節(きせつ)()きの旅行(りょこう)()()ってしまったのでありましょう。

Speak Your Mind

*